作品概要

この作品が、初めて上演されたのは1987 年(昭和62年)、宇野重吉の演出でした。
もともと「神と人とのあいだ」二部作の第二部として書かれたもので、第一部「審判」では東京裁判の法廷を舞台に戦争責任の問題が問いかけられましたが、この「夏南方のローマンス」は敗戦数年後の、とある公園を舞台に、南方で「戦犯」として処刑された男の留守家族や戦友たちの姿が描かれています。“どうしてもとり返しのつかないものを、どうしてもとり返すために”と劇中のセリフにもありますが、これこそ劇団民藝が上演してきた一連の木下作品に貫かれた通奏低音として、重い響きを残していると言えるでしょう。
理不尽な死を受け入れなければならなかった人々とそれを遠く過ぎ去ったこととして、もはや無関係かのごとく現在の生活を享受している私たち。木下戯曲がはらむ痛恨にも似た想いは、いまも私たちの前に鮮烈な問題を投げかけています。

作・演出・出演

作:木下順二
演出:丹野弓
出演:桜井明美、中地美佐子、伊藤孝雄、齊藤尊史他
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(196回例会)
開催:2021年7月21日18時30分開演、7月22日13時開演
会場:町田市民ホール

木下順二のことば

日本における戦争責任の追及は、極端にいえば占領軍任せの公職追放と、連合軍 任せの軍事裁判とだけで処理されてしまった。そして、 私たちにとって重要なことは、これらのしばしば持っていた インチキ性や不十分さの問題よりも、告発が外発的にのみなされ、内発的になされなかったということなのだ。
「最も重い責任の問題を、最も重く考えることの可能な、あれは戦後唯一のきっかけであったはずだ。それがその時なされなかった理由の一つが、 日本人の本来的な、または近代日本の発足時に形成された 精神のもろさにあったとしても、 反省して締め直すことが可能なあれはほとんど唯一の機会であったはずだ。
木下順二のことば

雑記 丹野郁弓

「初めて『子午線の祀り』を観たのは、劇団に入ってまもなくの頃だ。
(略)確かに日本の芝居のはずなのに、私はそこに紛れもないヨーロッパ演劇の匂いを嗅いでいた。この印象は100%当たってはいないにしろ、まるっきり外れてもいないだろう。木下順二氏は、一度はキリスト教に帰依していたし、またシェイクスピアの翻訳家でも研究者でもある。(略)そして今回の『夏・南方のローマンス』にもまた同じ匂いを私は感じている。
「台詞というものは日常を切り取るものだというのが、現代的、かつ今の主流の考え方でああろうかと思う。しかしこの作品の台詞は会話のようでいて実は会話でない。かみ合っているようでまるでかみ合ってないのだ。その噛み合わなさのあわいに作者の思想がにじみ出てくる。」
1987年の初演に、私は演出部の一番下っ端で参加している。演出の宇野重吉先生が初めてキャストに稽古をつけた時の執拗さが今でも忘れられない。(略)今回、先生が手を入れた台本と本気で向きあってみて、先生の演出の意図が少しばかり見えてきたような気がする。


劇団民藝

劇団民藝は1950年4月3日に創立。(前身は1947年発足の民衆芸術劇場=第一次民藝)築地小劇場、新協劇団など「新劇」の本流を歩んできた滝沢修、清水将夫、宇野重吉、岡倉士朗らによって「多くの人々の生きてゆく歓びと励ましになるような」民衆に根ざした演劇芸術をつくり出そうと旗あげされました。
1970年、劇団民藝創立20周年に木下順二作品の新作を、ということで、「神と人とのあいだ」が企画されました。第1 部『審判』第2 部『夏・南方のローマンス』が文芸雑誌「群像」に掲載されたとき、活字を読んだ木下順二は、『夏・南方のローマンス』はこのままじゃ嫌だと言って、上演を白紙にします。劇団民藝・宇野重吉は、それを受け入れて第1 部、第2 部連続上演を取りやめました。それから17年後の1987年、初演が決まった時、宇野重吉は肺がんで旅公演を降板していて、病室から電話でトボ助(女B・女芸人)役の樫山文枝に稽古をつけたそうです。